2008年 09月 06日
オーネット・コールマン・アンソロジー |
オーネット・コールマンの60年代の音楽について少し考えていた。10月に来日する高瀬アキ&ジルケ・エバーハルドのプロジェクト”オーネット・コールマン・アンソロジー”日本ツアーに関わっているせいもある。コールマンについては色々な人が難しく書いていたりもするが、私にとってはジョン・F・スウェッドのこの言葉が一番ぴったりきた。その理由は、トーナリティの自由な発想、そしてメロディーがキモだと思っていたからである。
「コールマンは曲のコード進行にもとづく即興からミュージシャンを解放しようとした。反復や循環、終止形を定めた曲構造であり、つぎにどう演奏するかを決めるものだった。コールマンはそうではなく、息の続く長さで構造を決めた。当時の現代詩のとりくみによく似ていた。コールマンはハーモニーよりメロディに関心を寄せた。曲のメロディはビバッパーが考えついたものよりも不規則で不揃いだ。それは広い音域と自由なピッチ感覚でいっそう強調された。ハーモニーは最小の構成をとったが、コールマンの演奏は従来の意味でのリズムを強調し、鼓動、心拍といった身体感覚に訴える。そのフレーズは先の予想がついたり、さらにブルースがかったりすることが多い。だれよりも確信的だったが、極端に遠くまでは行かないことも心得ていたようだ」(『ジャズ・ヒストリー』諸岡敏行訳)
『Ornette Coleman Anthology』(Intakt Records)はよいアルバムだ。こういうトリビュート・アルバムでは対象とする音楽家のどこにインスパイアされたのかがわかって面白い。ある意味そのミュージシャン自身がそこに投影されているともいえる。オーネット・コールマンの初期の録音はピアノレス。それらの作品にピアニストが取り組むという高瀬のチャレンジ精神。ピアノという楽器はそれが持つ機能性ゆえに時として不自由でもある。特にオーネット・コールマン作品にとっては。それゆえに呈示されたCDから高瀬という鏡に映ったオーネット・コールマンの姿が見事に立ち現れてきた時に嬉しく思ったのだ。その類い希な知性と感性に敬服。
高瀬アキ&ジルケ・エバーハルド・デュオ日本ツアー
”オーネット・コールマン・アンソロジー”
詳細はコチラ>>>
「コールマンは曲のコード進行にもとづく即興からミュージシャンを解放しようとした。反復や循環、終止形を定めた曲構造であり、つぎにどう演奏するかを決めるものだった。コールマンはそうではなく、息の続く長さで構造を決めた。当時の現代詩のとりくみによく似ていた。コールマンはハーモニーよりメロディに関心を寄せた。曲のメロディはビバッパーが考えついたものよりも不規則で不揃いだ。それは広い音域と自由なピッチ感覚でいっそう強調された。ハーモニーは最小の構成をとったが、コールマンの演奏は従来の意味でのリズムを強調し、鼓動、心拍といった身体感覚に訴える。そのフレーズは先の予想がついたり、さらにブルースがかったりすることが多い。だれよりも確信的だったが、極端に遠くまでは行かないことも心得ていたようだ」(『ジャズ・ヒストリー』諸岡敏行訳)
『Ornette Coleman Anthology』(Intakt Records)はよいアルバムだ。こういうトリビュート・アルバムでは対象とする音楽家のどこにインスパイアされたのかがわかって面白い。ある意味そのミュージシャン自身がそこに投影されているともいえる。オーネット・コールマンの初期の録音はピアノレス。それらの作品にピアニストが取り組むという高瀬のチャレンジ精神。ピアノという楽器はそれが持つ機能性ゆえに時として不自由でもある。特にオーネット・コールマン作品にとっては。それゆえに呈示されたCDから高瀬という鏡に映ったオーネット・コールマンの姿が見事に立ち現れてきた時に嬉しく思ったのだ。その類い希な知性と感性に敬服。
高瀬アキ&ジルケ・エバーハルド・デュオ日本ツアー
”オーネット・コールマン・アンソロジー”
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by kazuey1113
| 2008-09-06 12:27
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