2010年 08月 02日
『ニュー・ジャズ・スタディーズ』 宮脇俊文、細川周平、マイク・モラスキー編著 |
宮脇俊文、細川周平、マイク・モラスキー編著『ニュー・ジャズ・スタディーズ -ジャズ研究の新たな領域へ-』(アルテスパブリッシング)が届いた。「最新のジャズ研究アンソロジー -日米の研究者による必読の論考15本を収録-」、なかなか食欲をそそるキャッチコピーである。
折りに触れて海外の評論家の書いた文章には目にしてきたし、ジョン・F・スウェッドやフランク・ティローのような学者が書く本も読んできたが、ジャズをテーマにした学術研究というのにはほとんど縁がなかったと言っていい。当然のことながら、期待をしてページをめくったわけだが…。
最初に開いたページがよくなかったのか、こんな表現を見つけてしまった。
「GUO the Globe Unity Orchestraの復活版(ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ the Berlin Contemporary Jazz Orchestra)」(342ページ)
ひどく驚いた。GUOとBCJOは全くコンセプトの異なるビッグ・バンド。いったい何なんだ!この論文は。マイク・へフリー著「アメリカの向こうの自由世界」、うちにある彼の本『Northern Sun, Southern Moon』(Yale University Press)の第五章だった。いくらなんでも「GUOの復活版BCJO」とは書いていなかった筈、と思って調べたら誤訳であった。
しかし、それだけではすまなかったのである。出るわ、出るわ、訳注の間違い、カタカナ表記がおかしいものだけではなく、明らかに事実と反する記述も4カ所。『Northern Sun, Southern Moon』は買って流し読みしたときに、引っかかる箇所が幾つもあったことも思い出した。英語だったこともあり読み流していたが、日本語となると気になる、気になる。次に読んだデイヴィッド・ノヴァック「音、無音、即興のグローバルな価値」にも事実と異なることが。二つの論文だけで、「箏」が「琴」になっているというようなミスまで含めるとざっと30カ所あった。論文というからには専門家による査読は受けている筈である。そう考えるととても信じられない間違いの多さなのである。ちなみに間違いの根拠がはっきりしていて、その証拠が出せるものだけでこの数字なのだ。これから一生懸命調べないといけないようなグレーゾーンのものは含まれていない。また、解釈の違い云々までいうとキリがないので、そういうのも除外している。
直ちに編者に知らせた。深刻にに受け止め、まずは出版社のサイトで正誤表を出すことを考えているといった内容のメールが返ってきた。アルテスパブリッシングは小規模ながら音楽書を専門になかなか興味深い本を出版している会社である。きちんとした対応をしてもらえそうでまずはホッとした。誰でも間違いはあるし、予期せぬ問題が発生することもある。もちろん何事も起こらないのが一番なのであるが、問題が起こった時の初動対応の仕方が企業の命運を分けることだってある。きっと危機管理の意識もあるのだろう。アルテスは良心的な出版社という印象を受けた。
指摘した間違いには、著者自身の勘違いや間違いも多く、おそらくは確認をとるなどの作業が発生するので、正誤表がアップされるまでには時間がかかると思われる。しかし、誠実な対応をしてくれると信じているので、この本を買った人は時期を見て出版社のサイトをチェックすることをお勧めする。
普通ならば、このようなあら探しのようなことをわざわざブログには書かないのだが、単なるうっかり間違い(たとえば1978年を1988年と書いてしまった)とか校正ミスと違い、事実と異なることが書かれているので、読者に誤った情報が流れるのはよくないと思ったからである。事実と明らかに違っている箇所だけは、のんびりと正誤表を待てないので明らかにしておきたい。また、ここでわざわざ問題の箇所を明記する理由のひとつは、編者に間違いを知らせる前に確認をとったアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハがこれらの記述に大憤慨しており、削除しなければ許せないとさえ言っているからである。
なぜこのようなドイツの大御所ミュージシャンを怒らせるような論文が収録されてしまったのだろう。Yale University Pressから本が出ているということは外部の専門家による査読を受けているので問題ないと思ったと編者の一人は言っていた。実はここに落とし穴があって、アメリカで多くの研究がなされている分野なら問題はない。しかし、ヨーロッパ・フリーがアメリカでどれほど認知されているのだろう。おそらく日本よりもその認知度が低いと思われる。そうであれば、専門家もほとんどいない筈で(評論家に詳しい人が何人かいる程度だろうか)、内容のチェック機能としての査読もあまり当てにならないだろう。音響やパンクも同様だろう。編者のそのあたりの読みが浅かったと推察する。
問題ありと思ったのは今のところ二つの論文で、それでこの本の価値がなくなるわけでは決してない。収録されている論文のテーマは非常に幅広く、一般にもなじみ深い作家村上春樹、マイルス・デイヴィスから即興、ジャズとパンク、あるいは「ジャズとミンストレス・ショー」や谷譲次があったり、「ジャズの伝統を構築する」というのまである。そのバリエーションの豊かさと語り口の違いといい、なかなか興味深い本であることは確かだ。この企画を機会に、今後さまざまな角度からジャズをキーワードに多層的な文化研究が行われること、また紹介されることを期待したい。
今回は、たまたま人より知識があり、人的なつながりのある分野だったので、間違いを指摘する側に立ってしまったが、誰しも間違いはある。自分も文章を書くときには気をつけないといけないと改めて思った。
そして、問題のへフリーの本の違う章の冒頭にあった一文もここに記しておこう。FMPのLP/CDの写真を多く手掛けていたドイツの写真家ダグマー・ゲーバースの言葉である。
Be careful when you write. There are real people who have given their real lives, sweat and tears for this music.
- Dagmar Gebers
評論家であれ、研究者であれ、ジャーナリストであれ、音楽について文章を書く時にこのことをどれほど意識しているだろうか、と時々思うことがある。自戒を込めて。
***** ***** ***** ***** ***** *****
342ページ
「GUO the Globe Unity Orchestraの復活版(ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ the Berlin Contemporary Jazz Orchestra)」
これは間違い。アレクサンダー・フォン・シュリペンバッハ及び高瀬アキ(BCJOのコ・リーダーでそのピアニスト)に確認済み。
端的に言えば、アレクサンダー・フォン・シュリペンバッハ率いるグローブ・ユニティ・オーケストラ(GUO)はラージ・アンサンブルでの即興演奏に主眼を置いているのに対し、彼が音楽監督を務めていたベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)では基本的に作曲作品において即興演奏をいかに展開させていくのかという違いがあった。BCJOはGUOとは異なるコンセプトを持つバンドであることはインタビューなどできちんと言及している。
344ページ
「アルベルト・マンゲルスドルフが1963年以来何度となく行っているアジア・ツアーと同じく、ゲーテ・インスティテュートが1980年のフォン・シュリッペンバッハとGUOのアジア・ツアーのスポンサーとなり、日本のジャズ・シーンとの重要なコネクションを広げていった。この至れり尽せりの公式サポートの裏を返せば、本国での評価やサポートはあったりなかったりするのが現実ということになる」
この部分は事実と全く異なる。まるでドイツ本国がGUOをその当時認めていないというようにも受け取れるし、悪意に満ちてる。削除されなければ許せないとの事。(シュリペンバッハ氏の言葉、読んだのは日本語訳ではなく元の英文)
補足:
当時を知るジャズ評論家の副島輝人氏に聞いたところ、1971年にジャーマン・オール・スターズが来日した時は、評論家の故油井正一氏とヨアヒム・べーレントが親しい関係だったこともあって、様々なかたちで日本人ミュージシャンとの交流があったという。実際に日本人とドイツ人が共演したレコードがリリースされている。副島氏がオーガナイズしていたニュー・ジャズ・ホールにもドイツ人ミュージシャンがやってきたそうだ。(『日本フリージャズ史』177ページ)しかし、1980年のGUO来日時には、新宿にあった中平氏が経営するジャズ喫茶ダグにメンバーであるミュージシャンが遊びにきたのは覚えているが、1971年にジャーマン・オール・スターズが来日した時のようなミュージシャンの交流はなかったように思うとのこと。
346ページ
「ベルリン・ジャズ・デイズは彼が1964年に立ち上げたベルリンのフェスティヴァルであり、これが刺激となってFMPの第一回トータル・ミュージック・ミーティングが催されることになる」
翻訳者が文章の意味を理解しないまま訳しているのと著者も事実関係をきちんと認識していないことは明らか。
ベルリンジャズ祭(JazzFest Berlin)は、Berliner Jazz Tageという名前で1964年に第一回が開催されている。しかし、トータル・ミュージック・ミーティング(TMM)の第一回は1968年、ベルリンジャズ祭の開催時期に合わせて行うという戦略をとってはいたが、ベルリンジャズ祭が刺激となってTMMが始まったわけではない。TMMについてはコチラ>>>とコチラ>>>
346ページ
「いちばん最初のジャズ・デイズのテーマは「ジャズが世界と出会う」だった」
"Jazz meets the world"がベルリンジャズ祭のテーマの“ひとつ”だったのは1967年。
へフリー論文には突っ込みたいところ、補足したいところいろいろある。しかし、そうなると自分で同様のテーマで書いたほうが早いのである。ただし、論文ではなくエッセイになると思うが…。
追記)アルテス・パブリッシングのサイト上に、マイク・へフリーの論文「アメリカの向こうの自由世界」とデイヴィッド・ノヴァック論文「音、無音、即興のグローバルな価値」の正誤表がアップされた。本を購入された方は是非アクセスしてほしい。コチラ>>>
折りに触れて海外の評論家の書いた文章には目にしてきたし、ジョン・F・スウェッドやフランク・ティローのような学者が書く本も読んできたが、ジャズをテーマにした学術研究というのにはほとんど縁がなかったと言っていい。当然のことながら、期待をしてページをめくったわけだが…。
最初に開いたページがよくなかったのか、こんな表現を見つけてしまった。
「GUO the Globe Unity Orchestraの復活版(ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ the Berlin Contemporary Jazz Orchestra)」(342ページ)
ひどく驚いた。GUOとBCJOは全くコンセプトの異なるビッグ・バンド。いったい何なんだ!この論文は。マイク・へフリー著「アメリカの向こうの自由世界」、うちにある彼の本『Northern Sun, Southern Moon』(Yale University Press)の第五章だった。いくらなんでも「GUOの復活版BCJO」とは書いていなかった筈、と思って調べたら誤訳であった。
しかし、それだけではすまなかったのである。出るわ、出るわ、訳注の間違い、カタカナ表記がおかしいものだけではなく、明らかに事実と反する記述も4カ所。『Northern Sun, Southern Moon』は買って流し読みしたときに、引っかかる箇所が幾つもあったことも思い出した。英語だったこともあり読み流していたが、日本語となると気になる、気になる。次に読んだデイヴィッド・ノヴァック「音、無音、即興のグローバルな価値」にも事実と異なることが。二つの論文だけで、「箏」が「琴」になっているというようなミスまで含めるとざっと30カ所あった。論文というからには専門家による査読は受けている筈である。そう考えるととても信じられない間違いの多さなのである。ちなみに間違いの根拠がはっきりしていて、その証拠が出せるものだけでこの数字なのだ。これから一生懸命調べないといけないようなグレーゾーンのものは含まれていない。また、解釈の違い云々までいうとキリがないので、そういうのも除外している。
直ちに編者に知らせた。深刻にに受け止め、まずは出版社のサイトで正誤表を出すことを考えているといった内容のメールが返ってきた。アルテスパブリッシングは小規模ながら音楽書を専門になかなか興味深い本を出版している会社である。きちんとした対応をしてもらえそうでまずはホッとした。誰でも間違いはあるし、予期せぬ問題が発生することもある。もちろん何事も起こらないのが一番なのであるが、問題が起こった時の初動対応の仕方が企業の命運を分けることだってある。きっと危機管理の意識もあるのだろう。アルテスは良心的な出版社という印象を受けた。
指摘した間違いには、著者自身の勘違いや間違いも多く、おそらくは確認をとるなどの作業が発生するので、正誤表がアップされるまでには時間がかかると思われる。しかし、誠実な対応をしてくれると信じているので、この本を買った人は時期を見て出版社のサイトをチェックすることをお勧めする。
普通ならば、このようなあら探しのようなことをわざわざブログには書かないのだが、単なるうっかり間違い(たとえば1978年を1988年と書いてしまった)とか校正ミスと違い、事実と異なることが書かれているので、読者に誤った情報が流れるのはよくないと思ったからである。事実と明らかに違っている箇所だけは、のんびりと正誤表を待てないので明らかにしておきたい。また、ここでわざわざ問題の箇所を明記する理由のひとつは、編者に間違いを知らせる前に確認をとったアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハがこれらの記述に大憤慨しており、削除しなければ許せないとさえ言っているからである。
なぜこのようなドイツの大御所ミュージシャンを怒らせるような論文が収録されてしまったのだろう。Yale University Pressから本が出ているということは外部の専門家による査読を受けているので問題ないと思ったと編者の一人は言っていた。実はここに落とし穴があって、アメリカで多くの研究がなされている分野なら問題はない。しかし、ヨーロッパ・フリーがアメリカでどれほど認知されているのだろう。おそらく日本よりもその認知度が低いと思われる。そうであれば、専門家もほとんどいない筈で(評論家に詳しい人が何人かいる程度だろうか)、内容のチェック機能としての査読もあまり当てにならないだろう。音響やパンクも同様だろう。編者のそのあたりの読みが浅かったと推察する。
問題ありと思ったのは今のところ二つの論文で、それでこの本の価値がなくなるわけでは決してない。収録されている論文のテーマは非常に幅広く、一般にもなじみ深い作家村上春樹、マイルス・デイヴィスから即興、ジャズとパンク、あるいは「ジャズとミンストレス・ショー」や谷譲次があったり、「ジャズの伝統を構築する」というのまである。そのバリエーションの豊かさと語り口の違いといい、なかなか興味深い本であることは確かだ。この企画を機会に、今後さまざまな角度からジャズをキーワードに多層的な文化研究が行われること、また紹介されることを期待したい。
今回は、たまたま人より知識があり、人的なつながりのある分野だったので、間違いを指摘する側に立ってしまったが、誰しも間違いはある。自分も文章を書くときには気をつけないといけないと改めて思った。
そして、問題のへフリーの本の違う章の冒頭にあった一文もここに記しておこう。FMPのLP/CDの写真を多く手掛けていたドイツの写真家ダグマー・ゲーバースの言葉である。
Be careful when you write. There are real people who have given their real lives, sweat and tears for this music.
- Dagmar Gebers
評論家であれ、研究者であれ、ジャーナリストであれ、音楽について文章を書く時にこのことをどれほど意識しているだろうか、と時々思うことがある。自戒を込めて。
***** ***** ***** ***** ***** *****
342ページ
「GUO the Globe Unity Orchestraの復活版(ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ the Berlin Contemporary Jazz Orchestra)」
これは間違い。アレクサンダー・フォン・シュリペンバッハ及び高瀬アキ(BCJOのコ・リーダーでそのピアニスト)に確認済み。
端的に言えば、アレクサンダー・フォン・シュリペンバッハ率いるグローブ・ユニティ・オーケストラ(GUO)はラージ・アンサンブルでの即興演奏に主眼を置いているのに対し、彼が音楽監督を務めていたベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ(BCJO)では基本的に作曲作品において即興演奏をいかに展開させていくのかという違いがあった。BCJOはGUOとは異なるコンセプトを持つバンドであることはインタビューなどできちんと言及している。
344ページ
「アルベルト・マンゲルスドルフが1963年以来何度となく行っているアジア・ツアーと同じく、ゲーテ・インスティテュートが1980年のフォン・シュリッペンバッハとGUOのアジア・ツアーのスポンサーとなり、日本のジャズ・シーンとの重要なコネクションを広げていった。この至れり尽せりの公式サポートの裏を返せば、本国での評価やサポートはあったりなかったりするのが現実ということになる」
この部分は事実と全く異なる。まるでドイツ本国がGUOをその当時認めていないというようにも受け取れるし、悪意に満ちてる。削除されなければ許せないとの事。(シュリペンバッハ氏の言葉、読んだのは日本語訳ではなく元の英文)
補足:
当時を知るジャズ評論家の副島輝人氏に聞いたところ、1971年にジャーマン・オール・スターズが来日した時は、評論家の故油井正一氏とヨアヒム・べーレントが親しい関係だったこともあって、様々なかたちで日本人ミュージシャンとの交流があったという。実際に日本人とドイツ人が共演したレコードがリリースされている。副島氏がオーガナイズしていたニュー・ジャズ・ホールにもドイツ人ミュージシャンがやってきたそうだ。(『日本フリージャズ史』177ページ)しかし、1980年のGUO来日時には、新宿にあった中平氏が経営するジャズ喫茶ダグにメンバーであるミュージシャンが遊びにきたのは覚えているが、1971年にジャーマン・オール・スターズが来日した時のようなミュージシャンの交流はなかったように思うとのこと。
346ページ
「ベルリン・ジャズ・デイズは彼が1964年に立ち上げたベルリンのフェスティヴァルであり、これが刺激となってFMPの第一回トータル・ミュージック・ミーティングが催されることになる」
翻訳者が文章の意味を理解しないまま訳しているのと著者も事実関係をきちんと認識していないことは明らか。
ベルリンジャズ祭(JazzFest Berlin)は、Berliner Jazz Tageという名前で1964年に第一回が開催されている。しかし、トータル・ミュージック・ミーティング(TMM)の第一回は1968年、ベルリンジャズ祭の開催時期に合わせて行うという戦略をとってはいたが、ベルリンジャズ祭が刺激となってTMMが始まったわけではない。TMMについてはコチラ>>>とコチラ>>>
346ページ
「いちばん最初のジャズ・デイズのテーマは「ジャズが世界と出会う」だった」
"Jazz meets the world"がベルリンジャズ祭のテーマの“ひとつ”だったのは1967年。
へフリー論文には突っ込みたいところ、補足したいところいろいろある。しかし、そうなると自分で同様のテーマで書いたほうが早いのである。ただし、論文ではなくエッセイになると思うが…。
追記)アルテス・パブリッシングのサイト上に、マイク・へフリーの論文「アメリカの向こうの自由世界」とデイヴィッド・ノヴァック論文「音、無音、即興のグローバルな価値」の正誤表がアップされた。本を購入された方は是非アクセスしてほしい。コチラ>>>
by kazuey1113
| 2010-08-02 23:29
| new release