2010年 06月 28日
フォト・エッセイ:ビル・ディクソン(追悼に代えて) |
jazztokyoの連載フォト・ドキュメントは追悼の意も込めて6月15日に亡くなったビル・ディクソン。本当は違う写真で入稿するつもりで準備していたのだが、急遽予定を変更。締切直前だったがなんとか間に合った。初めてベルリンジャズ祭に取材で行った1994年にトニー・オクスレー・セレブレーション・オーケストラで出演した時の写真(コンサートではなくサウンドチェック時に撮影したもの)。ビル・ディクソンもベルリンジャズ祭に出演したのはこれが最初だった。
コチラ>>>
縁は異なもの、である。たぶんベルリンジャズ祭に行こうと1994年の秋に思い立たなければ、観ることがなかった音楽家、プロジェクトは多い。ビル・ディクソンもまたその一人だった。
私がベルリンが好きなのは、芸術と大衆文化が交わるアジールな都市だったから。ローマでは歴史が重すぎる。パリでは時として洗練が鼻ににつく。じゃあ、東京は?私はここでふわふわと宙を漂う異邦人みたいなヘンな日本人なのかもしれない、と感じることがある。友人に「なぁーんて生活感ないところに住んでるの。…… でも、その生活感のなさもまた東京のひとつのリアリティかも」と言われたことがある。ベタな下町や路地裏だけがジャパンじゃないし、その逆だけでもない。それこそが、好き嫌いは別として都会の現実ではないか、と思う。
jazztokyoの表紙写真はオーケストラのサウンドチェックの様子。トリミングしての超横長変形サイズ、これがいいと思っても縦長の写真は使えないので、いつも選択に苦慮する。隔週刊のWeb Magazineのため2週間限定なので、元の写真を下に貼り付けておこう。 トニー・オクスレー・セレブレーション・オーケストラ・フィーチュアリング・ビル・ディクソン(左からトニー・オクスレー、トニー・レヴィン、E.L.ペトロフスキー、ヨハネス・バウアー、パット・トーマス、フィル・ミントン)。トニー・オクスレーとトニー・レヴィン、イギリスにおけるフリージャズの先駆者だった二人の名ドラマーが同じプロジェクトで共演するというのも珍しい。
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縁は異なもの、である。たぶんベルリンジャズ祭に行こうと1994年の秋に思い立たなければ、観ることがなかった音楽家、プロジェクトは多い。ビル・ディクソンもまたその一人だった。
私がベルリンが好きなのは、芸術と大衆文化が交わるアジールな都市だったから。ローマでは歴史が重すぎる。パリでは時として洗練が鼻ににつく。じゃあ、東京は?私はここでふわふわと宙を漂う異邦人みたいなヘンな日本人なのかもしれない、と感じることがある。友人に「なぁーんて生活感ないところに住んでるの。…… でも、その生活感のなさもまた東京のひとつのリアリティかも」と言われたことがある。ベタな下町や路地裏だけがジャパンじゃないし、その逆だけでもない。それこそが、好き嫌いは別として都会の現実ではないか、と思う。
jazztokyoの表紙写真はオーケストラのサウンドチェックの様子。トリミングしての超横長変形サイズ、これがいいと思っても縦長の写真は使えないので、いつも選択に苦慮する。隔週刊のWeb Magazineのため2週間限定なので、元の写真を下に貼り付けておこう。 トニー・オクスレー・セレブレーション・オーケストラ・フィーチュアリング・ビル・ディクソン(左からトニー・オクスレー、トニー・レヴィン、E.L.ペトロフスキー、ヨハネス・バウアー、パット・トーマス、フィル・ミントン)。トニー・オクスレーとトニー・レヴィン、イギリスにおけるフリージャズの先駆者だった二人の名ドラマーが同じプロジェクトで共演するというのも珍しい。
by kazuey1113
| 2010-06-28 19:38
| column