2009年 10月 17日
『エクスペリメンタル・ミュージック 実験音楽ディスクガイド』 |
数時間前に届いた本『エクスペリメンタル・ミュージック 実験音楽ディスクガイド』(NTT出版)。著者はフランスの音楽ジャーナリスト、フィリップ・ロベール(訳:昼間賢・松井宏)。タイトルにはエクスペリメンタル・ミュージックとある。訳せば実験音楽。だが、アカデミックなヨーロッパ・クラシック音楽のそれとは異なったくくりの本であることは、一目見てわかった。「実験音楽ディスクガイド」とサブタイトルにあるように、約100名の音楽家のディスク1枚~2枚を取り上げ、音楽家と音盤について語ったもの。それは、ルイジ・ルッソロに始まり、ジョン・ゾーンに終わる。クセナキス、シュトックハウゼンから大友良英やメルツバウ、杉本拓まで。中には美術家のジャン・ティンゲリーやデビュッフェ、ウィリアム・バロウズも。このラインアップ、イギリスの雑誌The Wireに近い。というか、もしThe Wireがこういう特集をやったら近いものになるのでは、ということ。
序文はノエル・アクショテ。受け取ってからまだ数時間、読破はしていないがペラペラとページをめくってみた。当然、異論はあることはわかりきっている。もし、全て「はい、仰せのとおり。全く同感」だったら、寧ろ気持ち悪い。それはともかく、「実験音楽」というのが、ジャンル横断的に音楽を語るひとつの括りになるということ。またここに取り上げられたのが、職業音楽家だけではないことは興味深い。音楽教育を受けていないことが寧ろ効を奏して、音楽的教養のもたらす足枷にハマらずに自由な発想を得られたというケースも多々あろう。「実験音楽」のある種の大衆化ということがあるとするならば、もしかするとそれは今なのかもしれない。
だが、このようなコレクションは、嗜好の違いによる差違があるにせよ個人のレコード・ラックではよく見受けられるものではなかろうか。音楽鑑賞はより「個人的」になっている。音楽について語る言葉もまたそれを追いかけ、拡散しつつあることを感じる。これも今日的なことなのだろう。系譜はもはや意味をもたなくなってしまったのか…。
訳者あとがきに昼間賢は、「実験的であるかどうかの判断の基準」は、「何らかの方法論から導き出されたものかどうか」、そして「自前の方法論を編み出すための基盤、つまり音楽史の知識が不可欠」と記している。だが、目次に並んだ名前を見ながら、それさえも危うい、そういう判断基準さえもが揺らいでいるようにさえ思うのだ。
それはともかく、この種の音楽を取り上げた本にしては読みやすいし、ディスクガイドとしてはもちろん有用!それをどう活用するかも読者次第。ジャンルを問わず「実験的」とされる音楽に興味のある向きは一度手にとって見てはどうだろうか。
序文はノエル・アクショテ。受け取ってからまだ数時間、読破はしていないがペラペラとページをめくってみた。当然、異論はあることはわかりきっている。もし、全て「はい、仰せのとおり。全く同感」だったら、寧ろ気持ち悪い。それはともかく、「実験音楽」というのが、ジャンル横断的に音楽を語るひとつの括りになるということ。またここに取り上げられたのが、職業音楽家だけではないことは興味深い。音楽教育を受けていないことが寧ろ効を奏して、音楽的教養のもたらす足枷にハマらずに自由な発想を得られたというケースも多々あろう。「実験音楽」のある種の大衆化ということがあるとするならば、もしかするとそれは今なのかもしれない。
だが、このようなコレクションは、嗜好の違いによる差違があるにせよ個人のレコード・ラックではよく見受けられるものではなかろうか。音楽鑑賞はより「個人的」になっている。音楽について語る言葉もまたそれを追いかけ、拡散しつつあることを感じる。これも今日的なことなのだろう。系譜はもはや意味をもたなくなってしまったのか…。
訳者あとがきに昼間賢は、「実験的であるかどうかの判断の基準」は、「何らかの方法論から導き出されたものかどうか」、そして「自前の方法論を編み出すための基盤、つまり音楽史の知識が不可欠」と記している。だが、目次に並んだ名前を見ながら、それさえも危うい、そういう判断基準さえもが揺らいでいるようにさえ思うのだ。
それはともかく、この種の音楽を取り上げた本にしては読みやすいし、ディスクガイドとしてはもちろん有用!それをどう活用するかも読者次第。ジャンルを問わず「実験的」とされる音楽に興味のある向きは一度手にとって見てはどうだろうか。
by kazuey1113
| 2009-10-17 18:18
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