横井一江のブログ "jazz,improvised music...and beyond"


by kazuey1113

カテゴリ:column ( 59 )

10月10日に行われた生活向上委員会2016+ドン・モイエのコンサート「TIME TUNNEL」で撮影した写真をスライド・ショーにして、短いテキストと共にJazzTokyoにポストした。コチラ>>>

演奏中にカメラを持ってウロウロすることは憚られたので、原田依幸氏はほとんど後ろ姿になってしまった。背中が大いに語ってくれているとは思うが…ご寛恕を。

ちなみにJazzTokyo No.223のトップページの表紙(バナー)2枚目3枚目もこの公演の写真です。

閲覧するブラウザだが、サイトとIEとの相性が良くないので、出来ればGoogle ChromeかSafariで見ていただけると嬉しい。
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by kazuey1113 | 2016-10-30 14:47 | column
ベルリン・ジャズ祭が11月1日から開催されるので、途中からになるが久しぶりに行くことにした。内容については6月に書いたが(コチラ>>>)、個人的にはグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年コンサートとフランスの若手イヴ・リッサ・ホワイト・デザート・オーケストラを注目している。現在ブルックリン・シーンでアクティヴに活動している若手ミュージシャンも多く出演するので、こちらも楽しみ。また、高瀬アキはイングリッド・ラウブロック、シャルロッテ・グレーヴそれぞれとのデュオ、内橋和久もアキム・カウフマンのプロジェクトで出演する。

JazzFest Berlinのサイトはコチラ>>>

問題は会場が複数あり、演奏時間が重なっていること。それほど遠くない場所でやるのだから、観たい人は両方行けるようにするべきである。写真撮影も昔に比べて厳しくなっていて、本番では冒頭10分のみ。おまけに出来れば遮音・無音にと。(ベルリンの友人も怒っていた!) サウンドチェックに行ければいいが、全ては無理なので、いちおう無音に出来るミラーレスも持っていかないと…。

ちょうどこの時期ベルリンでは二人の写真家Detlev Schilke & Patrick Hinelyによる「The Many Faces of Jazz: Two Perspectives Across The Decades」という写真展が開催される。デトレフ・シュリケは20年以上前にベルリン・ジャズ祭で知りあい、なんとなく親しくなった。一度こっそりと彼の仕事中の姿(撮影しているところ)を撮って送ったら妙に喜んで、こんどは逆をやられた(汗)。もう一人のパトリック・ヒンリーともベルリン・ジャズ祭で顔を合わせている。最後に見た時もライカのフイルムカメラで撮影していた。二人共とても良いジャズ・フォトを撮ってきた素晴らしい写真家。11月3日から12月16日にベルリンへ行く機会のあるジャズ・ファンは是非。

フォト・ギャラリーのサイトはコチラ>>>
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by kazuey1113 | 2016-10-30 14:46 | column

JAZZ ART せんがわ

昨日更新されたJazzTokyoの連載(カバーストーリー)は「JAZZ ART せんがわ」を取り上げた。個別のステージのレポートではなく、フェステヴァルそのものについて。プラス写真でのドキュメント。「JAZZ ART せんがわ」とヴィクトリアヴィルのフェスFestival International de Musique Actuelle Victoriaville (FIMAV)との交流が実現する可能性が出てきた。FIMAVは80年代半ばにスタートしたメールスと同傾向のフェスティヴァルのひとつ。実現すれば「JAZZ ART せんがわ」にとってはよき交流相手になり、フェス自体ステップアップするように思う。メールス・ジャズ祭の音楽監督をブーカルト・ヘネンから引き継いだライナー・ミヒャルケが突然辞任するという残念なニュースが少し前にあっただけに、これは嬉しい可能性である。
記事はコチラ>>>
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by kazuey1113 | 2016-10-02 13:04 | column
1970年代後半、日本のジャズ・シーンを席巻した生活向上委員会。30数年振りにそのリーダー原田依幸と梅津和時が生活向上委員会東京本部の名前で活動を再開し、2016年10月にはファマドゥ・ドン・モイエをゲストとして招聘し、4箇所でコンサートを行う。というわけで、jazztokyoの連載エッセイではドン・モイエを取り上げた。彼のアート・アンサンブル・オブ・シカゴ(AEC)での活躍はよく知られていると思うので、違う話を少し。写真は1996年メールス・ジャズ祭に「ピーセス・オブ・タイム」(アンドリュー・シリル、ドン・モイエ、タニ・タバル)で出演した時のもの。コチラ>>>

AEC関連では、レスター・ボウイも以前に連載で取り上げている。コチラ>>>

10月の「生活向上委員会2016+ドン・モイエ」公演情報は;
コチラ>>>
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by kazuey1113 | 2016-08-01 08:10 | column
c0098087_8211876.jpgノルウェーのピアニスト、トルド・グスタフセンの新プロジェクト「Hymns and Visions」によるCD『What was said』のレビューをJazzTokyoに書いた。

「Hymns and Visions」はグスタフセンが、アフガニスタン人の父を持つケルン生まれのヴォーカリスト、シミン・タンデルと出会ったことで生まれたプロジェクトで、これまでのトリオやカルテットでの活動とは異なるチャレンジャブルなコンセプトによるもの。取り上げられているのは、ペルシャの神秘学者で大詩人ルーミーの英訳詩とグスタフセンが子供の頃から親しんでいたルター派教会の賛美歌をアフガン詩人がパシュトー語に訳したもの。ふたつの異なる宗教、世界観から生まれ、翻訳された歌が出会うアルバムだ。レビューはコチラ>>>

ちょうどこのCDを聴きながら、あれこれ考えている時に、7月17日18日に開催される郡上八幡音楽祭のテーマが「トルコ・スーフィー」であることを知った。ルーミーは旋回舞踊で知られるイスラム神秘主義(スーフィー)のメヴレヴィー教団の始祖である。これはちょっとした奇遇だった。

郡上おどりで知られる郡上八幡を拠点にするパーカッショニスト、土取利行を通して世界の音楽家を招き開催されるこの音楽祭、今年はピーター・ブルック演出『マハーバ ーラタ』などで土取と共演してきたネイ(葦笛)の名手で先日ユネスコの平和のための芸術家として指名されたクツィ ・ エルグネル、またトルコ・イスタンブールからベキル・ビュユックバッシ(歌手)、ムラット ・ アイデミィル(タンプール)を招聘し、土取は中近東のパーカッションで演奏するという。17日のメインプログラムは旋回舞踊で知られるイスラム神秘主義メヴラーナーの音楽、18日はオスマン古典音楽の公演。

郡上八幡音楽のサイトはコチラ>>>

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by kazuey1113 | 2016-07-14 08:33 | column

『佐藤允彦/標準戯楽』

c0098087_19212297.jpg佐藤允彦の戯楽シリーズ第4作目完結編(最終作?)の『標準戯楽』がリリースされた。お題はスタンダード、ゆえに「標準」。ジャズファンなら誰でも知っている名曲をいかに「改造」したのか?タイトルを見れば原曲は想像がつくし、ライナーノートにはどのように「改造」したのか本人による解説(種明かし)も載っている。

しかし、ここで提案したい。まずは何も見ず、読まずに聴く。それからタイトルを見て、解説を読む。そして、もう一度聴き直す。ただ聞き流すより、そのほうがずっと面白い!と私は思います。

7月27日(水)には新宿ピットインで発売記念ライヴを行うとのこと。

こういう機会なので、JazzTokyo No.218のカバーストーリーは佐藤允彦に。コチラ>>>

また、JazzTokyoのサーバー引っ越し以来読めなくなっていた「佐藤允彦インタビュー ~富樫雅彦を語る~」も復活!コチラ>>>
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by kazuey1113 | 2016-06-09 19:33 | column

姜泰煥

c0098087_11514291.jpg少し前にjazztokyoフォトエッセイで取り上げた姜泰煥の『素來花 Sorefa
』(Audioguy Records)に再び聴き入っている。2012年の録音だが現在の彼の境地を知ることが出来る貴重な音源だ。いろいろな音楽家と出会ってきたが、彼ほど俗な意味での名声や成功にはなく、音楽的な探究に邁進し続けている人はいない。それでいて、とてもキュートな人柄なのだ。。。

JazzTokyoのフォトエッセイはコチラ>>>

↓は昨年(2014年)宇都宮市be offでのソロライヴで撮影したもの。
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by kazuey1113 | 2015-11-01 12:30 | column
アンドレア・チェンタッツォが来日中である。2008年に彼が観光で来日した時にインタビューし、jazztokyoに記事を書いた。しかし、サーバーが移転したため、現在古い記事にはアクセス出来なくなっている。来日中ということもあり、編集部の特別な許可を得て、ここにテキストのみになるが転載させてもらうことにした。

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アンドレア・チェンタッツォとIctus Records
横井一江

アンドレア・チェンタッツォはイタリア人パーカッショニストで、現在はアメリカに住む。60年代後半から盛り上がったヨーロッパのフリー・ミュージック・シーンだが、イタリアのそれについて伝えられることはほとんどない。しかし、50年代後半に12音音楽をジャズに取り入れる試みを始めたジョルジォ・ガスリーニのような才人もいれば、ローマのマリオ・スキアーノのように1960年代初頭からフリージャズ的な演奏を始めた人物もいる。彼らとは世代的に下になるのだが、チェンタッツォはイタリアのローカル・シーン超えて活躍したパーカッショニストであり、自身のレーベルIctusには70年代から80年代にかけて各国の即興音楽家の演奏が残されている。とりわけ注目すべきなのは、70年代の後半にニューヨークへ行き、まだまだ無名だったジョン・ゾーンやトム・コラ、ユージン・チャドボーンらと共演し、その音源を録音していることだ。それらのレコードは、おそらくジョン・ゾーンらの最も初期の録音のひとつだろう。

70年代、ヨーロッパのフリージャズ第一世代といわれる即興演奏家の活動範囲はやはりヨーロッパという枠内であり、アメリカ人ミュージシャンとの共演にしてもヨーロッパに訪れた者との共演が主だった。その意味で当時ニューヨークの片隅で芽生えた若いミュージシャン達による即興音楽の次なる展開の萌芽をキャッチした嗅覚もまた才能だろう。チェンタッツィオのフットワークの軽さは、イタリアがヨーロッパ・フリーの世界では周縁の地でしかなかったゆえにもたらされたものかもしれない。当時の近藤等則の動きにも一脈通じるものがある。その近藤ともチェンタッツォはニューヨークで共演している。

チェンタッツォの音楽歴は、ジョルジォ・ガスリーニのバンドに抜擢されたところから始まったと言ってもいい。ガスリーニは、日本では過小評価されているとしかいいようがないが、イタリアのマエストロと言っていい存在である。初期の『テンポ・ジ・エラジオーネ』や『オルトレ』は音楽的な革新性を内在した作品だった。

「ジョルジォ・ガスリーニは私の師といっていい。私は小さな村に住む無名のドラマーだったけど、友人が私の送ったテープをガスリーニに聞かせた。私のパーカッション、そのコンセプションを気に入ってもらえた。それでオーディションに行って、彼のカルテットに加わり、2年間活動を共にしたんだ。その頃は月に20回コンサートがあってね。イタリアのジャズ、とりわけ前衛ジャズが一番活発だった時期だった。工場や劇場、オープン・スペースでも演奏したよ。音楽と政治的な結びつきも強かった。その頃は音楽的な革命も政治的なものも同義に捉えられていたから。工場でコンサートをした時には、家ではビートルズやローリング・ストーンズしか聞かないような人達も来て、静かに聞いていた。政治的な理由からね。でも、70年代終わりにはロックがそれに取って代わったんだ。

ガスリーニは個人的に重要なミュージシャンだ。ガスリーニはクラシック音楽の作曲や指揮もする素晴らしい技術を持ったピアニストで、12音音楽のシステムをジャズに取り入れた。彼のバックグラウンドはクラシック音楽だけど、それを初めてやったんだ。

ガスリーニはイタリアにいたということもまた重要。例えば、オーストリアの偉大なピアニスト、ジョー・ザビヌルはニューヨークに行ってしまっただろう。70年代に彼はミラノいた。彼はローカル・ヒーローだったよ」

70年代のイタリアでは前衛ジャズと政治的な運動が結びついていたことは、ガスリーニやマリオ・スキアーノも指摘していた。これは他のヨーロッパ諸国、イギリスやドイツ、オランダではなかった現象で、大変興味深い。

チェンタッツォのもう一人の師はスティーヴ・レイシーである。そして、彼との共演はまたIctus Recordsの最初の作品となった

「ガスリーニはクラシック音楽出身のミュージシャンだから、どのように演奏すべきか、どのようにスコアを読みとるべきか、どこで即興すべきか教えてくれた。でも、作品をやはり第一義的に考えていた。でも、スティーヴ・レイシーは違う。もっとオープンで、自分の感じるままに演奏することを教えられたんだ。ガスリーニの教えも一方では貴重だったが、レイシーには即興演奏を学んだといえる。

Ictus Recordsの最初の作品はレイシーとのデュオ『Clangs』だ。レイシーとはベースのケント・カーターとのトリオでツアーもした。この録音も出しているよ。その時点ではIctusを続けていけるかどうか、自分では正直わからなかった。でも、IctusはドイツのFMP、オランダのICP、イギリスのIncusと並ぶヨーロッパのフリー・ミュージックのレーベルとなった。フランスにはBYGがあったが、アーチー・シェップなどアメリカ人ミュージシャンの録音が多かったね。でも、イタリアにIctusあり、だったんだ。運営面は妻がやっていた。利益が出るとそれを元手に次ぎのレコーディングにつぎ込んだ。そうやって、現在のカタログになったんだよ。でも、私の手元にはお金は残らなかったね」

Ictus Recordsはチェンタッツォの個人レーベルだが、その共演者には当時ヨーロッパ・フリーの最前衛だったデレク・ベイリー、エヴァン・パーカーなどがいる一方、ロヴァ・サキソフォン・カルテット、またニューヨークで当時まだ無名だったジョン・ゾーンを初めとするダウンタウンのミュージシャンに至る。これは70年代から80年代のポスト・フリージャズの流れそのものなのだ。

また、チェンタッツォはMitteleuropa Orchestraを結成し、その録音もIctusに残している。ヨーロッパならではの独自の方向性を持ったオーケストラといえば、グローブ・ユニティ、ロンドン・コンポーザース・ジャズ・オーケストラ、ICPオーケストラ、ウィーン・アート・オーケストラなどの名前がすぐ浮かぶが、イタリアにも彼のMitteleuropa Orchestraがあったのだ。そのメンバーには、日本にも度々来日していたカルロ・アクティス・ダト、ジャンルイジ・トロベシなどイタリア人の他に、ドイツのアルバート・マンゲルスドルフ、オーストリアのフランツ・コーグルマンやラドゥ・マルファッティ、ポルトガルのカルロス・ジンガロもいた。短命に終わってしまったのが残念である。

1976年の最初のリリースから8年、Ictus Recordsは1984年にいったん活動を休止する。その理由は運営面を仕切っていた妻との離婚であった。その後、事故で重傷を負ったこともあって演奏活動を休止し、1991年にはロスアンジェルスに移住するが演奏活動は行わず作曲に専念する。

1997年になって演奏活動を再開。ボルチモア在住の須藤伸義(p)、ペリー・ロビンソン(b)とのトリオ、加藤英樹(b)とマルコ・カッペリ(g)とのトリオ、またガムラン・アンサンブルとの共演、ビデオを用いたマルチメディア・プロジェクトとその活動範囲は以前にも増して多彩である。一時Robi DroriからCDで再発されたもののそれも短命に終わり、市場から消えていたIctus Recordsだが、iTuneストアでのダウンロード配信を薦められ、それを始めたことをきっかけに息を吹き返した。旧譜の再発、未発表音源のリリースだけではなく、最新録音も次々と発表している。不思議なことに新生Ictus Recordsのジャケット・デザインはオリエンタル趣味。その理由はチェンタッツィオの現在のガールフレンドが日系人だからだった。「日本人のほうがその繊細さにおいて、アメリカ人よりはヨーロッパ人の感性に近い」という。彼の最近の共演者には須藤や加藤に加えて、若手日本人ミュージシャン、モトコ・ホンダ、カイ・クロサワの名前が出てくるのはそのせいだろうか。

チェンタッツォのパーカッションにおける師はピエーレ・ファーヴレである。ファーヴレはドラム・セットにゴングを持ち込んだ最初のドラマーだという。確かにチェンタッツィオのパーカッション・サウンドや拡張したセットにその影響がちらほら見える。実は彼はスイス、ベルンにあるジャズ・スクールで学んでいたのだ。その理由は「当時バークリー・メソッドをヨーロッパで教えていたのはそこだけだったから」だと。現在のチェンタッツィオの音楽性からは意外に思えるが、多くのヨーロッパ・フリー第一世代の多くが若い頃はジャズ・プレイヤーだったことを考えるとあながち不思議でもない。

フリージャズの時代以降、スイスのピエーレ・ファーヴレ、ドイツのポール・ローフェンス、イギリスのトニー・オクスレー、ポール・リットンなどヨーロッパには素晴らしいパーカッション奏者がいて、ジャズのドラム・セットの概念を超えたパーカッション・サウンドの可能性を拓いてきた。チェンタッツィオもまさにその一人といえる。

チェンタッツォはいう。「イタリア人はゴシックで情熱的である。だから、その音楽が素晴らしいのだ」。彼もまさしくその一人だ。


*Ictus Recordsの国内流通状態は不明だが、下記HPからCDを購入できる。iTune Storeでもダウンロード可能。
http://www.ictusrecords.com/
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by kazuey1113 | 2014-09-09 21:42 | column
c0098087_07330348.jpgjazztokyoの連載フォト・エッセイでは毎回異なったミュージシャンについて書いているが、今回ローレン・ニュートンを取り上げた(コチラ>>>)のはリリースされたばかりの『佐藤允彦&ローレン・ニュートン/Skip the Blues』(Mobys/Chitei Records)を聴いたからだ。1982年のパンムジーク・フェスティヴァルと1986年スタジオ200での再会セッションのカップリング。未発表ライヴ音源のCD化、貴重なドキュメントである。

ローレン・ニュートンの初来日は1982年。この時、富樫雅彦、ペーター・コヴァルトとの録音『コントラスト』(キングレコード Paddle Wheel)を残しているが、佐藤允彦とのセッションの音源が残っているとも聴けるとも思っていなかったので興味津々でCDをプレイヤーに入れた。勢いのあるサウンドに引き込まれていく。疾走するヴォイス(ニュートン)に、抜きつ抜かれつ併走し先んじて手を打つピアノ(佐藤)。ここでの佐藤は内部奏法も多用している。スピード感ある展開の中に、ローレン・ニュートンの音楽に向き会う姿勢、ヴォイスによる表現の可能性を拓かんとするアグレッシヴさが浮かび上がってくる。80年代にタイムスリップしたような感覚になりつつ、楽しんだ。臨場感を伝えるアナログな音質もまた増感して現像したフイルムから焼いた写真を見ているようで一興あり。思い起こせば80年代は色々な個性のヴォイス・パフォーマーが表舞台で活躍を始めた時代である。これは、まさに当時の現在進行形の音楽だった。聴いた後、一陣の風が通り抜けていったあとのような爽快感が残ったのはそれゆえだったのだろう。

フォト・エッセイはコチラ>>>

ローレン・ニュートンの最近作は、フィル・ミントンとのデュオによる『O HOW WE』。Bandcampからのダウンロード版のみ。こちらで試聴も出来る。コチラ>>>

↓は1ヶ月限定の表紙に使用した写真@横濱ジャズプロムナード2002。彼女はフォトジェニック。
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【蛇足】昨年随分久しぶりに圧倒されるようなヴォイス・パフォーマーを観た。SOFA NIGHTで来日したソフィア(Sofia Jernberg)である。彼女のパフォーマンスはまた是非観たいと思う。ソロアルバムを心待ちにしているのだが…

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by kazuey1113 | 2014-05-27 20:41 | column
jazztokyo最新号の連載フォト・エッセイはピアニスト、トロンボーン奏者、そして活動家だったホレス・タプスコット。知る人ぞ知るLAのジャズ・リジェンドである。西海岸のジャズといえばチェット・ベイカーやアート・ペッパーなどの「ウエスト・コースト・ジャズ」となるのだろうが、それはブランド化されたイメージでしかない。20年代から50年代にかけてLAのセントラル・アヴェニューがジャズのメッカだっとことは意外に知られていない。また、西海岸から多くの優れたミュージシャンを輩出しているにもかかわらず、彼らはNYCに出てから成功したこともあって、そのことも忘れられている。そのような中で、タプスコットはLAに留まり、ローカルな黒人コミュニティの中で音楽活動・社会活動し続けたのだ。60年代初頭パン・アフリカン・ピープルズ・アーケストラを結成したタプスコットは、自主組織UGMAAを創るに至るが、それはローカルなミュージシャン組織としてよく知られているシカゴAACMに先立つものだったのである。エッセイはコチラ>>>

エッセイを書くにあたって、ホレス・タプスコットのことをもっと知りたいと調べたら、『Songs of the Unsung - The Musical and Social Journey of Horace Tapscott』という自伝が出ていることを知った。取り寄せたのだが間に合わず、手元に届いたのは数日前だった。この本のタイトルがまさに彼の生き様を表している。まだ少しページをめくっただけだが、なかなか興味深い。

ジャズ史はスタイルの変遷を縦に積み上げるように書かれてきた。しかし、横の広がり、各地のジャズ・シーン、そして人の動きを見てみるとまた違ったものが見えてくるのではないかと思う。

一ヶ月限定の表紙↓
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by kazuey1113 | 2014-04-08 08:32 | column