2008年 04月 12日
着メロがジスモンチやメシアン、あるいはジョン・ゾーンだったら・・・ |
携帯サイト、着メロ、着メロふるで、ピアニスト矢沢朋子が主宰するGeisha Farmの3タイトル『Cabaret / Chizuru Mitsuhashi』、『Transition / Tomoko Yazawa』、『Flash Point / Tomoko Yazawa』に収録されている曲の配信が開始された。着メロの配信は今やよくあるが、それがバリバリアカデミックな筈なのにレィデオ・ヘッドやマシュー・シップが面白いと食指を伸ばすピアニストのジスモンチ≪7 Aneis(7つの指輪)≫やメシアン≪Canteyodjaya≫、ジョン・ゾーン≪Carny≫だったら。ジスモンチはクールだが、着メロでメシアンが流れてきたら可笑しいかも(←スミマセン、不謹慎?)。あるいは、ジョン・ゾーンのピアノ版ひとりコブラみたいな作品だったら…。
ダウンロードの方法等はコチラ↓↓↓
http://recochoku.jp/site/sound.html
*検索はアルファベットかカタカナで
また、Geisha FarmのCD3タイトルのダウンロード配信もスタートした。iTune Music Store、Napster、 Mora、USEN(OnGen 他)などからダウンロードできる。世界各国に配信するためアルファベットで登録されているので、検索する時はご注意を。
Yahoo Music!のiTunesでも試聴&購入できる↓↓↓
Tomoko Yazawa または Chizuru Mitsuhashi
ダウンロード配信に否定的なミュージシャンは多い。録音やパッケージ、ジャケット・デザイン等々も含めてこだわりを持って制作していれば、そう思うのは当然だろう。しかし、発想を転換させる必要もまたあると思うのだ。特にインディペデント・レーベルでは。これだけCDの作品タイトルが増え、大手CDショップでさえ店頭に並ぶ確立はどんどん低くなっている。試聴して気に入ったら、あるいは試しにダウンロードしてみて気に入ったら、(どこかの通販サイトで)CDを買うということもあるかもしれない。検索の途中で偶然出会うことや、あるいはショップでは見つからなかったけど、ダウンロードではあったとか等々。単純に取り敢えずダウンロードして聴いてみるというのでもいいと私は思うのだ。音楽の作り手は聴いてほしいから制作しているのではないのか。だったら、きっかけは多いほうがいいに決まっている。なのに抵抗のある人が多いのはなぜなのだろう。もし、CD=アート作品というのなら、徹底的にこだわるべきだ。それでこそ差別化できるし、CDでなければならないという価値が出るのではないか。
私は実は大のヘッドフォン嫌いで、iPodは持っているが旅行時に音楽を聴くためとヴォイス・レコーダーの代用品にしかすぎない。消極的な利用者だが、なにかを調べている時にダウンロード配信がちょっと役に立ったりすることも実際あるのだ。反対にインド人の知人はパソコンに数千曲iTunesでダウンロードした曲を入れている。大半は彼の好きなインドのポピュラー音楽らしい。考えてみれば日本のCDショップではそんなに沢山のインドの音楽を扱っていないから、もっとも早く確実に入手する方法なのだろう。そういう意味では、彼にとっては画期的なメディアに違いない。利用法は人それぞれである。しかし、配信されていなければ、聴かれるチャンス自体失われるのだ。
少し前に出たレィディオ・ヘッドの新譜についての話題は、その音楽ではなくダウンロード配信するという販売方法だった。彼らの時代に即したビジネス感覚はシャープでクールである。メジャーなアーティストとインディペンデントで頑張っているミュージシャンの置かれている立場は違う。だが、発想を転換させ、現代のメディアをいかに効果的に利用するかを考えて然るべきと思うのだ。
ダウンロードの方法等はコチラ↓↓↓
http://recochoku.jp/site/sound.html
*検索はアルファベットかカタカナで
また、Geisha FarmのCD3タイトルのダウンロード配信もスタートした。iTune Music Store、Napster、 Mora、USEN(OnGen 他)などからダウンロードできる。世界各国に配信するためアルファベットで登録されているので、検索する時はご注意を。
Yahoo Music!のiTunesでも試聴&購入できる↓↓↓
Tomoko Yazawa または Chizuru Mitsuhashi
ダウンロード配信に否定的なミュージシャンは多い。録音やパッケージ、ジャケット・デザイン等々も含めてこだわりを持って制作していれば、そう思うのは当然だろう。しかし、発想を転換させる必要もまたあると思うのだ。特にインディペデント・レーベルでは。これだけCDの作品タイトルが増え、大手CDショップでさえ店頭に並ぶ確立はどんどん低くなっている。試聴して気に入ったら、あるいは試しにダウンロードしてみて気に入ったら、(どこかの通販サイトで)CDを買うということもあるかもしれない。検索の途中で偶然出会うことや、あるいはショップでは見つからなかったけど、ダウンロードではあったとか等々。単純に取り敢えずダウンロードして聴いてみるというのでもいいと私は思うのだ。音楽の作り手は聴いてほしいから制作しているのではないのか。だったら、きっかけは多いほうがいいに決まっている。なのに抵抗のある人が多いのはなぜなのだろう。もし、CD=アート作品というのなら、徹底的にこだわるべきだ。それでこそ差別化できるし、CDでなければならないという価値が出るのではないか。
私は実は大のヘッドフォン嫌いで、iPodは持っているが旅行時に音楽を聴くためとヴォイス・レコーダーの代用品にしかすぎない。消極的な利用者だが、なにかを調べている時にダウンロード配信がちょっと役に立ったりすることも実際あるのだ。反対にインド人の知人はパソコンに数千曲iTunesでダウンロードした曲を入れている。大半は彼の好きなインドのポピュラー音楽らしい。考えてみれば日本のCDショップではそんなに沢山のインドの音楽を扱っていないから、もっとも早く確実に入手する方法なのだろう。そういう意味では、彼にとっては画期的なメディアに違いない。利用法は人それぞれである。しかし、配信されていなければ、聴かれるチャンス自体失われるのだ。
少し前に出たレィディオ・ヘッドの新譜についての話題は、その音楽ではなくダウンロード配信するという販売方法だった。彼らの時代に即したビジネス感覚はシャープでクールである。メジャーなアーティストとインディペンデントで頑張っているミュージシャンの置かれている立場は違う。だが、発想を転換させ、現代のメディアをいかに効果的に利用するかを考えて然るべきと思うのだ。
by kazuey1113
| 2008-04-12 11:50
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