横井一江のブログ "jazz,improvised music...and beyond"


by kazuey1113

フリー/インプロの経済学?

以前からフリー、インプロのライブにおける集客の問題はよく耳にした。前衛的な音楽・芸術活動の先端部分を理解し、受容する人々が少ないのはいつの時代も変わらないし、世界中似たような状況だろう。例えば、ジョセフ・ホルブロック・トリオ(デレク・ベイリー、トニー・オクスレー、ギャビン・ブライヤーズ)が60年代半ば地元シェフィールドで毎月定期的に行っていた実験的ライブにやってきたお客さんは毎回30人から40人程度だったというし、多くの今はベテランと言われる名前の通ったミュージシャンにしてもヒトケタのお客さんを前に演奏した経験は少なからずある。また、集客イコール音楽の質を決めるわけではない。だが、ここに至って尋常ではないなと思いはじめた。なぜなら、例外を除いてインプロのライブはヒトケタが当たり前で、客席に20人いれば多いという状況になってきているからだ。

その理由はなぜだろう、とざっと問題点を書き出してみた。

- ファンの人数に比べてライブの回数が多い。
フリー、インプロのファンは多くはないし、それぞれの好みもますます細分化している。ひとりひとりが1ヶ月に趣味に費やせる予算は限りがあるから、単純計算しても一つのライブに来るお客さんの数は多くはないだろう。昨年9月のリーマン・ショック以降の未曾有の不況で、私の身近でも減収あるいは給与の減額という話を聞くようになった。そうなれば当然趣味に費やす予算も減額となるが、ライブの数自体は減っていないから、ますます一回あたりの集客は減るということになる。あくまでも単純計算での話だが。

- それでも満員御礼のライブもある。
例えば、ブロッツ・フェス、ICPオーケストラ、あるいは昨年開催されたFttari Festivalなどは沢山の人が来ていていた。クォリティのあるイベント(ブロッツ・フェス、ICPオーケストラ)、あるいは興味をそそる、サムシング・ニューを期待できるイベント(Fttari Festival)ならばお客さんはやってくる。やはりお客さんもお金を支払う以上、その使い道は選ぶ。わけのわからないものより、何かを期待出来るものに足を運ぶ。これは当然だろう。だから、企画者や主催者の努力が集客を左右する。例えば、ケーキ屋さんの広告に掲載されたケーキの写真は「美味しそう」に写っていないといけない。「うちではこんなに美味しそうなケーキを売っていますよ」ということをいかにお客さんに伝えるか、知恵を絞っているお店の広告は気を惹く。芸術はケーキと違うんだと言われればそれまでだが、ただ企画するだけでは片手落ち、気概があるのならそれを伝えないといけないのではないだろうか。

- ファンが増えないのはなぜか。
そもそもインプロあるいは即興音楽という名前を知らない人が大多数だということ。あるいはインプロというある種の音楽ジャンルを認知していたとしても、「わけがわからない」、「難しそう」、「楽しくなさそう」という先入観がどうしても先立つのである。ジャズの場合はまだいいのだが、フリージャズはいまだに鬼っ子だろう。それでも演奏者が減らないのは、そのような音楽表現における面白みがあるからなのだが、それについて紹介されることは少ない。ましてやシンプルにわかりやすい文章となると希少だ。また、客数が少ないライブであればある程、ご常連さん、ミュージシャンの友人、知人の割合が高い。そうなるとたまたま訪れた人には非常に居心地の悪い状況になってしまうのだ。誰が悪いわけではないのだけれども、やはり一見さんがリピーターになる確立は減ってしまう。

- 即興なればこそ当たりハズレがある。
即興演奏ゆえに、思いもかけない素晴らしいパフォーマンスに出会い至福の時を過ごすこともあれは、その逆もある。ライブを重ねることによって安定したカタチが出来上がるので、コアなファンならばそのプロセスを楽しむことも可能かもしれない。他方、そのようなプロセスを否定する考えもある。しかし、もしアナタが初めて体験したインプロのライブがたまたまハズレだったら、たぶんもう二度とそのようなライブに足を運ばないかもしれない。好みの問題なら致し方ないとしても、こういう場合の当たりハズレは痛い。

- 実験的?前衛的?なればこそ
エゴが強くて当然にせよ、実験的(前衛的)であるべき、これはゲイジュツなのだという生真面目さが前面に出てしまうとシンドイ。そういう意識もファン層を狭めているのでは、とも思う。何らかのウィットというか、ユーモア感覚というか、笑いというか、そういうのがあると愉しくなるのだが…。「なんだかよくわからないけど面白かった」というのはすっごい褒め言葉だと思うのだ。

- 情報はますます偏在化し、ますます届かなくなっている。
遍在化ではなく偏在化である。よくネット上には情報がなんでもあるでしょう、と言われる。そのとおり。でも、あえて探そうと思わないと見つけられない。いや、探しても見つけられないことも多い筈。雑誌などをペラペラめくっていた頃のほうが、偶然に「これ面白いかもしれない」ということに出会える確率はずっと高かった。情報を発信する側もなんらかの工夫をしないと駄目なのである。広い海上に無数の島があって、そのどこかに宝があったとしても見つけるのは困難至極。まさにそんな状態なのである。わりと(ジャズや即興音楽関係の)情報が入りやすいところにいて、なおかつ検索が得意なほうだと自負している(←おかげで余計なことを頼まれて困る)私も、「へぇ~、そんなライブあったんだ」とか「XXX来日してたの」と後になってから知ることも少なくないのだから。

- 評論家はなにもしてくれない?
まさにそのとおり。評論と宣伝は別物である。評論活動は必要だと思う。だが、紹介もなされていない現状では、それ以前の段階の問題なのだ。

- なぜヨーロッパではフリー/インプロは生き延びているのか。
いずこも厳しい状況は変わらない。特に助成金があちこちで減額されたりしていることは大きな問題だろう。しかし、今まで信念をもって地道に(愚直に)フェスティヴァルを続けてきた人々、またレコード・CDを出し続けてきたレーベル、そして紹介あるいは批評してきた人々がいる。ミュージシャンの自意識、あるいは技量も高い。背景となる文化の違いもあるが、長年培われた相互の信頼関係があればこそ生き延びているのである。個人個人の相性等々の問題はいつもつきまとうにせよ、ネットワークや人間関係の絆は存続しているといっていいだろう。日本では親分子分の関係や情実関係は存在するが、自立した個人によって成立したネットワークあるいは組織というのが出来ないのはなぜなのだろうと思う。

- では、どうすればいいのか。
足元をもう一度見よ、漫然と企画するのではなく、より緻密に戦略を練って企画せよということだろうか。抽象的で漠然とした物言いだが、ビジョンとストラテジ、短期と中長期を分けて、調整していくことが大切なのではないかと思う。これをやったら絶対などというものはないのである。仮に現在有効な手段があったとしても将来的にも有効かどうかはわからない。消費行動はますます個人的になっていくだろうし…。

- 音楽ファンだけが音楽を聴くわけではない。
どうしてもマイナーなジャンルだとコアな音楽ファンを特定し、そこにアピールしようとする。だが、聴衆はそこにだけいるのではない。ケース・バイ・ケースだが、潜在的ファン層にいかにアクセスするかが大事なのではないだろうか。そうでなければ、絶対的な聴衆の数は減少していくのみである。

- フリーやインプロを知らない人にそれを聞いてもらうには。
セレクトショップの発想がいいのではないかと思う。ジャズ・ファンがジャズだけ、インプロ・ファンがインプロだけしか聞かないということがあり得ないということは、その逆もありなのである。問題はセレクトショップの発想をどのように応用していくかなのだが…。

と、ここまで書き出してみた。これはまとまった考察でもなんでもなくて、とあるきっかけから思うところを書き並べてみただけのものにすぎない(←これこそブログの原点だとおもう)。そこのところはどうかご了承いただきたい。

追) 生き延びることも才能のうち、と言ったミュージシャンがいたが、ますますその言葉の真実味が増す今日この頃である。
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by kazuey1113 | 2009-04-18 15:00 | misc.